木の物語を刻む
東北巧芸舎 佐藤勳
「これは椀の各部の名称。会津地方では昔から木地師や塗師同士のやり取りに使われてきた言葉だけど、各部位に名前をつけるほど昔の職人は細部にこだわっていたし、いい加減にものを作っていなかったということですね」。
両手でいただく椀は、見た目に同じような大きさでも、ふちの丸みや胴の張り具合で使い勝手や手馴染みのよさがずいぶん違う。普段使いの器ほどそんな肌感覚を大事にしようという職人たちの意識が、各部位への名前を生み出したのだろう。でもそれは、現代にも受け継がれている?
「時代は変わり過ぎたし作り手も多様化した。でも昔には戻れないとしても、消えないものは確かに存在する。いつの時代も変わらない『木』という素晴らしい素材に関われるこの仕事も、伝統に根ざし支えられている、確かな仕事です」。
穏やかに、でもきっぱりと佐藤勳さんの言葉は続く。木地製作の指導者として、福島県の会津若松市から岩手にやって来たのは今から30年以上前。その2年後には岩手山が目の前に見える滝沢村柳沢に家を建て、工房「東北巧芸舎」の看板を掲げた。
「会津で働いていた木地屋では、ロクロはもちろんホド(炉)の作り方から刃物の作り方、ふいごの修理からいいハガネの見分け方なんていう鍛冶屋の仕事まで覚えた。『いずれ独立するんだから』って、色々なことを教えてもらいました」。
会津漆器に限らず、大量生産・分業制が常の有名産地で佐藤さんのような木地師は珍しい。しかも岩手に移り住んでからは、山に入って木の伐採や乾燥なども引き受けていた。木地に拭き漆を施した漆器も作るようになったが、最初はさんざんだったという。
「拭き漆は塗り物の最下層、漆器じゃないとも言われた。それでも、丈夫でいいものを作ろうとベンガラを塗ったりなど工夫をしていました。黒田辰秋(※)が技術指導に取り組むなどして品質が向上し、やっと拭き漆の美しさが認められるようになったんです」。
遅れてきた評価はともかく、佐藤さんの作る拭き漆の器はすぐに分かる。艶が、滑らかさが他とは全然違うのだ。理由を解き明かせば、漆を塗って拭きとる回数の多さや、岩手ではおそらく佐藤さんしか扱えない「鈴木式擦り型ロクロ」での加工技術などがあるだろう。だが一番の理由は木という素材への深い関心と理解、そして敬意なのではないか。
「確かに、自然の近くで暮らしたいというのが根本にあるので材料というより生態系のひとつとして捉えているかもしれない。どんどん作って売上を伸ばす気はない。修理をしながら末永く使ってもらえる、そんな木の器を作りたいと思う」。
病院の庭からやってきたイチイ、りんご農家から譲り受けた樹齢100年のクワ。佐藤さんの工房には、さまざまな“物語”を持った木が集まってくる。それら1本1本の素性やクセを確かめながら器を作っていく中で、偶然にも器となった木が持ち主の元へ『里帰り』することもあった。そこからよみがえってくる温かな記憶、そして心と心のやりとりもまた、元には戻らなくとも決して消えないもののひとつだろう。
現代の住まいは木には過酷だ。FF式ストーブなどによる過乾燥、太陽光や蛍光灯の紫外線も劣化に繋がる。便利な電子レンジや食洗機も木の器には御法度だ。「これからは私たちから使い方を教えなくては」と、佐藤さんも考えている。でも。
「本当は不便も愛おしみながら使うのが豊かな暮らしだと思う。自分の暮らしに『文化』を残し、どれだけ文明を取り入れるか。今こそ、そういう選択が必要じゃないですか」。
東北巧芸舎
岩手県岩手郡滝沢村柳沢1368
019-688-2968
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