忘れた頃に、更新するシリーズ
【ごはんとうつわ】
ごはん(食)やうつわ(クラフト)にまつわる徒然を
書いてみたり、過去記事を紹介していくコーナー
九州福岡の出版社「手の間」さんに寄稿させて頂いた記事の
第3回。えらそうなこと書いてます。すみません。
漬物とぬか釜ご飯ー「おいしい」の力を信じてみる
考えてみれば、漬物は相当面白い料理だ。野菜の種類や調味料との組み合わせの多彩さに加え、漬け加減や時間で味が変化していくのだから。青味の残るシャキシャキ浅漬けと、ものすごく酸っぱいのに旨味のある古漬けは、同じ漬物でありながらまったくの別物。なのにどちらもご飯と合う。いやはや漬物はすごい。だがそれ以上にすごいのは、やっぱりご飯の「力」なんだろう。
小泉さんから気になる話を聞いた。イベントでぬか釜ご飯を出すと70代以上の人は「懐かしい」「この味だ」と言って喜んで食べるそうだが、30代から50代は「気付いても素通りしていく人が多いようだ」という。ご飯なんか食べなくても他にいっぱい食べる物があるじゃないーーあふれ返る食に囲まれて育った大人達の、そんなつぶやきが聞こえてくる。
では子どもはどうか。小泉さんと出会った食育イベントには親と一緒に30、40人程度の子ども達が参加していた。広場でぬか釜ご飯のフタが開けられると、子ども達がめずらしげに近寄ってきて次々に飯椀を差し出してきた。そしてバーベキューの牛肉や野菜と一緒に威勢よく、もう本当に気持ちいいぐらいの勢いでご飯をかきこんでいたのである。さらに繰り出される子ども達の「おかわり」で、釜はあっという間に空っぽになった。
私たちは毎日の食事で、生まれ持った味覚センサーを保っているのだと思う。単純に腹を満たすだけなら簡単で便利な食べ物がたくさんあるけれど、油脂や食品添加物などの強い味に慣れてしまうとこのセンサーは働かなくなる。子ども達が競うようにぬか釜ご飯を食べたのは、若い彼らのセンサーがきちんと機能していたからだ。不思議なことに現代は、食体験が豊かになればなるほど「おいしい」という感覚を受けとめにくくなっていく。
なにしろ食の世界はめまぐるしい。次から次へと新しい食べ物が出てくるし、スローフードやらオーガニックやら話題にも事欠かない。「おいしいなぁ」などとのんびり噛みしめている間に、他のすべては慌ただしく過ぎ去ってしまう。でも私は自分自身の「おいしいセンサー」を信じているし、誰もがそうあってもらいたいと思う。体にいいかとか安全かどうかというのも確かに大事だ。でも、ぬか釜ご飯に子ども達がすぐに反応したように、まずは自分の味覚に従ってみてもいいんじゃないだろうか。小泉さんは活動を続ける理由を「ご飯はおいしいということを知ってほしいから」という。「おいしい」と「体にいい」、そして「おいしい」と「安心安全」は、多分そんなにかけ離れてはいない。
余談。ぬか釜ご飯の小泉さんの最強のご飯の友は、梅干しと長芋のぬか漬けらしい。長芋は流石にやったことがなかったので、うちに帰り、さっそくぬか床へ厚めに切った長芋を入れてみた。シャキシャキの食感にねっとりと絡み付くぬかの風味と旨味…うまい米を作る人は、うまい漬物も知っている。
<おわり>