念願の新居を手に入れて5年、10年、20年。
家族のかたちや状況もおのずと変わっていくのでしょう。
家もまた、家族の変化に合わせて姿を変えていきます。家も人も、年をとる。
そのプロセスも自分らしく楽しみながら、
心地よく重ねていけたらと思うのです。
「育つ家」は、そんな暮らしを始めたハウスオーナーを訪ねて
暮らしの変化や住まい方の工夫やこつ、愛着を伺います。
コンテンツは、てとてのウェブサイトのほか
「株式会社ゆい工房」のホームページ、
さらにミニサイズのリーフレットもつくりました。家を通して、人を語る、これからの暮らしを考える。
そんな、ちょっと風変わりなハウジングリポートです。
ひとが集い、笑いながら喰らうこと。
ずっと昔から紡がれてきた、幸せのルール。
—盛岡市 吉田さんご夫婦
<第1話>
「うちのひっつみは大きくて厚いの。
そのほうが食べ応えがあるだろうって、おじいさんからよく言われていました。
寝かせた生地をこうやって、大きく伸ばすのがコツ」
「具もたくさん入れますよ。ゴボウにニンジンに豚肉、キノコにネギ。
絶対に欠かせないのがキャベツ。手で大きくちぎってほかの具と煮込みます。キャベツが入ると汁がとても甘くなります。
入れたこと、ない? 美味しいからぜひやってみて」
「はい、出来上がり」
ひっつみのつくりかたは、同じようでいて家ごとに違う。材料、入れる順番、そして味付け等々。その家らしいひっつみを食べるたび、人がつむいできた歴史や記憶も一緒に味わわせていただいている気分になる。吉田家のひっつみにも、そんな家族の記憶が込められている。
「うちは、昔から人が集まる家だったんです」。
にこにこと、ご主人の吉田さんが話しだす。
家が建つのは盛岡市の東、すぐそばを梁川が流れる場所。この辺りは三陸から盛岡城下への街道筋にあたり、吉田家は江戸時代、旅人が草鞋を脱いで休む家に定められていたという。
「昔は城の東西南北にうちみたいな家があって、帯刀も許されていたんですよ」
家系をたどると平安時代にいき着くという吉田家では、お城のことや帯刀の話も「ひと昔」前ぐらいの感覚だ。それはご先祖さまの見聞きしたことが、たいせつな記憶として受け継がれてきた証しともいえる。
見事な飾り障子は、祖父が盛岡の建具店に頼んで作らせた。
細かな意匠が広間の陰影の中に浮かび上がる。
今の住まいは、吉田さんが生まれた昭和31年に祖父が建てた。祖父や父がこつこつと集め、たいせつに保管してきた地元の木や石を使って作った住まいだ。
20畳もある大広間は吉田家の顔。ここでは家族や親類、おそらくは隣人知人まで、それぞれの人生の機微が繰り広げられてきた。
建て替えではなくリフォームを選択したのも、家に刻まれた分厚い物語を残したかったから。
「でも住宅メーカーはどこも『新しく建てましょう』って言うんです。古いものは壊すっていう考えなんだよね」。
吉田さんは、残念そうに話す。
ゆいいつ、リフォームに応じた会社がゆい工房だった。
その後の改修工事で日の目を見た土台の丈夫なクリ材や梁の見事なアカマツは、吉田さん夫婦はもちろん施工にあたった大工の棟梁も唸らせたという。
木の家のほんとうの価値は、時間を経てこそわかるものだ。
玄関。引戸の隙間から差し込んでくる仄かな光で、磨き込まれた床板が輝く。
引戸の建具は当時のままで、ガラスだけ入れ替えた。
床板は64年前に手に入れたケヤキで、毎朝の乾拭きが日課になっている。
<第一話 終わり>